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日記2017/06/02

最近買った本の中で『リストカッターをはじめとする自傷行為者は体を痛めつけることで「生」を実感する』とあった。

 

マジで1ミリも理解できなかった。

 

自分が生を実感するのは334で良い順位を取れた時や射精するときであるしわざわざ痛くて辛いことをしなければ「あぁ、生きてる」って思えないのは主観的に悲しいことである。

 

 

以前運動会の途中で自分が出場しない時間に秋葉原まではるばる散歩に行った。そうしたら友達に「授業中に抜け出すなんて許されない」と激しく批判された。

 

僕自身は人に迷惑をかけなければ自分の欲求には正直でいたいので、ことを問題視していなかったけど彼にとっては大問題らしい。

 

もちろん点呼に一度遅れたので多少は迷惑をかけたが、それでも自分の欲求に比べれば「しょうがない」で済ませられることである。ダブルスタンダードであるが我を通すのに犠牲はつきものである。

 

 

最近本当に他人の意見が聞き入れられない。

言いたいことはわかるけど「へえ。そんな思考してるやつもいるんだな」って思うことしかできない。運動会中抜け出したことを咎められても、僕自身罪の意識は無いに等しいしリスカしてる人の考えてることなんてますます分からなくなるばかりである。

 

 

似たようなことを親しい友達にSkype越しに話したら「頑固になったな」と鼻で笑われた。

少し考えてみたが数年前は友達や本にすぐ影響されていた気がする。おそらく頑固になったのではなく情報の取捨選択ができるようになったのだろうと思いたい。ちなみにその日のポーカーはだいぶ負けた。

 

 

 

 

 

最近何も不幸を感じないような生き方をしていたが久々に自己嫌悪を感じた。

なにをどうしたという話だが3日連続で寝落ちしただけである。

しかし自分にとっての幸せはテキトーTwitterをすることと深夜にげーむや334することである。中間テストより前は当たり前のように「5連勤のうち2日間徹夜」みたいなことをしていたが何故かできない。

 

楽しみにしていたことが不本意にも自分のせいでできないことにも、なかなかに落ち込むが、なにより「昔できたことができない」ことが精神的苦痛である。

 

中学三年生の頃は23時に寝て26時に起きるなんてことをしていたけど今では不可能もいいところである。高1の頃は毎日334ぐらいまで起きててもなにも問題はなかった(授業は今より寝てたけど)。

 

以前出来ていたことが出来ないのは成長が右肩下がりであって、これからも出来ないことが増えていくだろうと考えられる。老人がオムツを履くのを嫌がるのもかなり頷ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて今日は334しますか。(1117字)